今年を振り返る 集中するのに一人は最適だった 

(今日の話は長いです、あと暗い話もちょくちょくありますのでご了承ください)

 

今日は今年を振り返る話です

3月にそれまで勤めていた職場を退職し、4月以降の9カ月間は試行錯誤な時期を過ごしました

とはいうものの、ちょくちょく無気力になってはやる気になったりの繰り返しでしたが

そしてもう会社勤めはゴリゴリだと感じました

とはいうものの、来年の稼ぎ次第では再びアルバイトをやらねばならん・・・(嫌だ)

 

1.自分の歩んできた人生の正解を証明したい 見とけやこの野郎精神

やはり自分の歩んできた人生が正解だったと、自分でも思いたいし周囲にもわからせてやりたいという思いがあります

私が満足した人生を歩むことがアンチに対する効果的なものなんじゃないでしょうか

あと私が何かを頑張る動機って基本、自己満足からくる自己実現なんですけどそれに匹敵するくらいなのが

絶対見返しちゃる、この糞FUUCK野郎

という気持ちです

(一体だれに対しての怒りなんだ・・・?)

これは今までの会社の上司・先輩だったり、昔の同級生だったりですかね?

 

仕事でも運動でもこれは原動力のうちの大きい割合を占めています

最近は別に見返すという気持ち自体、そこまで大きくはないんですけども

1人でいるせいか比べる相手が近くにいないので別に自分がよければそれでいいと思うことが増えましたね

いまだに昔の屈辱が忘れられない

ただ、時折昔馬鹿にされたことをふと思い出すと並々ならぬ憤りが湧いてきます

自身のプライドの高さ故のものなんでしょうなあ

 

自分でも嫌だとは思いつつこの見返し精神が自分を成長させると思い、受け入れないことは成長を逃すと思いこの気持ちもなかったことにはしようとは思いません

つまり、こういう何糞FUUCK youな気持ちも大事なんだということ、自分にとっての原動力だということです

 

まあ今の私にアンチはいませんけどね

(いないことになってる)

 

2.さんざん叩かれたし努力不足と言われてきた しょうもない他者基準

両親からは応援からの叱咤激励なのかもしれませんが、あまりにもケチをつけられたり鼻で笑われるのを見てきて

「あんたは俺の職場を実際に見たのか?働いてるところを見たのか?」

と言いたくなることがありました、そして私はこう思うようにしました

”親・友人・知人の仕事評価より自分と一緒にしてる人たちの評価のが大事”

 

あと、捻くれたことを言いますが

私の母親に関してはいつも自分の心配をしてると口では言いますが私が最近感じたのは

”母親は息子である自分の心配じゃなく

ただの観客としてエンタメ目線で息子を見てるだけ”

ということだと思うようにしました

 

「そんなわけないだろ、いつだって母親は息子の心配をするものだ」

という気持ちもわかります

しかし当の私自身がそう思うんですよね

心配している母親に対するこの違和感はなんなのか

 

常にケチをつけ続けられ、次も何かケチをつけられるのではないかと身構えてしまうが故の「先に牙を剥いて反撃体制に入っておこう」という心理?

いやこれは私の勝手な推測ですけどね・・・

福祉相談員にも悶々としていた

ちなみに前職では福祉相談員も月一回ほど様子を見にきていただいてたんですが、その時もなにか言いようのない不安が心の中を渦巻いてました

(支援に来てるのに申し訳ない・・・)

別に福祉相談員の人に皮肉や嫌味、叱咤激励的なことは一言も言われたことはありませんでした

やはり前の記事で書いた「心配、応援で逆に悶々」としてまうんですね

 

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そんなわけで今は誰にも応援も批判もされたくない、っていうのが自分の本音・願望だということに最近気づきました・・・

人間関係の距離が近いとそう感じるのかもしれません

Xやスレッズでは、何かコメントが来たらそれは純粋にうれしいと思うんですよね

 

リアル知り合いからの面と向かった意見は今後もしばらく耳をふさいでおきたいです・・・

3.相手の思惑に踊らされたくない 来年は一人を徹底する

最近というかここ3,4年で小説を15~20冊くらい読んだおかげか、少しは相手の思惑がわかるようになりました

しかしデメリットもありました・・・

相手の欲望、思惑まで見えてしまうことになったこと

(見えるようになったと自分で思ってる)

 

実際に言われたわけじゃないけど基本、会社の上司は売上第一・自分が出世したいと思ってるものです

私が会社のため上司のためを思って、この判断はいいのだろうかと

そして会社の上司で部下のことを本気で心配してる人などいないと思っていますし

部下は所詮、上司の出世のための道具でしかないんだと割り切りました

 

それでも気づいたら相手の要望に合わせる考え方・生き方をしてるように感じました

 

両親の理想じゃなく、自分の理想で生きていく

これは両親に対してもそう

”息子には安定した会社で働いてほしい”

”仕事をいきいきと楽しくそして責任感をもってやってほしい”

”親思いの孝行息子であってほしい”

 

それを意識したとたん、自分の人生じゃなくなるような気がした

親の期待にこたえなければならない、親を心配させてはならない

これが長らく私の人生の基準となっていました

 

自分の人生を歩んでるといったものの、常に頭のどこかに親の影がちらついていました

まあこれは私だけでなく、ほかの親子関係でもあるあるなのかもしれまん

何が正しいのかはひとそれぞれですが私は今年、もう完全に自分のためだけの自分が満足するための人生にしたいと強く思いました

 

4.ネットゲームですら1人

ラグナロクというオンラインゲームをプレイしていて

当時も引きこもりがちな生活をしているひきニートだったのにネットゲーム内ですら合同プレイがあまり好きじゃなかったんですね

 

合同プレイというとどんなものか、ざっくり説明します

同じゲーム内に接続してるプレイヤー同士でチームを組み、(3,4人から10人程度)

それぞれが役割を振り分けられ、一人では倒せないような敵を集団で倒すというのがオンラインゲームの醍醐味なんですね

 

役割というのも剣士、弓使い、魔法使い、商人、暗殺者、支援係といったものがあり、チームでやると各々がその役割に応じてプレイしていくんですね

ゲームの世界といえど、やはり共同プレイとなると多少なりとも責任が伴うわけで

途中で離脱されたりするとその後、チーム全体に影響がある役割の人もいるんです

 

まるで現実の仕事と一緒だな・・・とプレイしてて思いました

私は一時そのチームに入ってた時期もありましたがやはり一人の方が気楽だなと思い、その後も積極的にチーム活動することはありませんでした

 

ひたすら1人で行けるダンジョンに行って黙々と敵を倒し経験値を獲得してアイテムを逐一拾う、そんな時間が好きでした

ネットゲーム内でも気兼ねなく過ごしたいと思ったていたら自然と一人でプレイしてました

 

5.仕事以外で批判・口出しされたくない 障害年金受給の話

旅行を一人でするのも、一緒に行く人がいないが大半の理由ですが

やはり友人同士でも一人旅とは違うんですよね

 

仕事に関しては口出しされたくないといっても業務上の指示には従わないといけないのでそれは渋々承知してますがそれ以外のことであーだこーだアーユルヴェーダと言われる筋合いはない

障害年金の話で気まずくなる

特に、必ずといっていいほど私の外見的特徴から障害年金の話に行き着く

そして貰ってるという回答をしたとたん、返ってくる答えは

”せこい、ずるい、羨ましい”

”俺だって(障害年金)ほしいわ”

 

これに関しては私の馬鹿正直さが災いしたのでしょうけど、かといってどういう返答がベストだったのか?と今更ながら思います

 

”それに関しては答えられません”の一言でいいのか?と悩みました

実際親や友人からも”そんなこと言わんでもいいって・・”という意見でした

 

しかしそれもなんだか隠し事をしてるみたいで嫌なんですよね・・・別に違法なことして金もらってるわけじゃないんで

これに関しては20代後半以降の転職活動時には”障害年金2級(年70万)受給”と履歴書にはっきり明記するようにしました

 

ていうかそもそも論なんですけど、障害年金もらってることと仕事と何の関係があるんですかね?「障害年金もらってるならその分給与下げさせてもらう」とかそういうことですか?(憤怒)

いつかは障害年金が要らなくなるくらい稼ぎたい

まあどっちにしろこの話になった途端、誰も笑顔にならないので・・・自分としては障害年金の受給資格を失う「年間所得460万以上」を目指そうかと思っています

これに関してはもう、障害年金もらってるうんぬんを引き合いに出されたくないんですよね

いつ達成できるかわかりませんが自分自身これだけの所得(年460万以上)を毎年稼げれれば、障害年金停止になってもいいと思ってます

 

障害年金の受給に関してはまだ言いたいことあるのでまた別記事で山ほど書く予定です

 

6.自分だけで完結したい お金だけじゃなく恩の清算もはっきりしたい

スポンサーという考え方があまり合わなさそう

よく”スポンサーを付ける”という考えもありますが私は恐らく・・・つけないのかなあと考えることがあります

誰かを巻き込んでのプロジェクトを基本したくないって思うんですね

 

クラウドファンディングを検討したけど約束は果たさねばならない

自分はよく約束を忘れる、反故にすることがあるんで・・

 

だからこそ「約束破られた・裏切られた」ということは今後なしにしたい

出来ない約束をしないようにしてます

 

それから自分が成功した際に、「恩を返さないといけない人がいる」っていうのも正直負担なんですよね・・・

その恩を「恩着せがましく言う人」っているじゃないですか・・・

 

闇金ウシジマくんに出てきそうなああいう人が苦手

893「おめえ、だれのおかげでこの店が繁盛してると思ってんだぁ?」みたいな人

反射の人「俺がスポンサーしてやって今の地位を築いたのを忘れたのかぁ?」みたいな人

 

何が言いたいかっていうと、

「誰かの時間・労力を使ってまで何かを成し遂げたいわけじゃない、人の期待やお金を背負うには自分には荷が重すぎる」ってことですね

 

上司が自分のミスを被るというのも心理的に嫌なんです

「じゃあ自分で仕事のミスしたとき、責任取れるのか?」

と言われるとそれはわからない・・・

 

しかしそういわれたときに逆に聞きたい、私が責任被るんだから別にあなたに責任被ってもらうつもりないんだけど?と

 

 

あと仕事と関係ないけど一人暮らし、一人旅をしてて思う

1人で行動できない人って責任感あるのか?と

 

私は一人旅は自由ではあるけど同時に全部自分で結末を受け入れなければならないということも承知の上で旅行してるんです、一人暮らしもそうです

 

特に海外だと最悪、命を落とすことがあるかもしれない、そういう思いも頭に入れて飛行機に乗ってます

 

幸いにも、海外旅行中に命を狙われることも命を落とす場面にも遭遇しなかったわけです

結局言いたいことは・・・

えー、つまり、つまりですね・・・(汗)

誰かの無理を押してまでやりたくないっていうのと、お世話になるのも単に助け合いとかいうふわっとした言葉じゃなく、お金できっちり線引きしたいっていう私のわがまま具合の話です

「あなたの為に私は我慢してきた」

「お前に期待してたから出資してたのに」

っていうことを、言われたくないんだぁ

そう、これが言いたかった

 

7.自分の基準は世界基準じゃない 価値観の押し付けに気を付ける

自分基準でものを言わないように気を付ける

ブログを書いてると読者の皆様からは

「でもそれ、あなたの価値観でそう思うわけでしょ?」

「独身のあんたは養う人いないんだからそりゃいいでしょうよ」

「皆が皆あなたと同じじゃないから」

という意見もあるかとは思います

 

逆に自分が上のようなことを人に対して思う時もあります

こういう話ってだんだんとエスカレートしていきがちになるんですよね

団塊のあなた方に仕事の流儀を言われてもね」

「結婚してて不幸自慢するとか独身に対する嫌味ですか?」

「そりゃあなたは親に金出してもらった一軒家に住んでんだからいいわよね」

 

もうこういうことを言い出したらきりがないんですよね、マウント合戦になってしまう

 

最近はこういう話をする人は「あっ・・・(察し)」となって距離を置くようにしてますし、自分からこういう比較の話を持ち出さないようにしなきゃと気を付けてます

 

2.と3.で書いた内容と被りますが、会話の中でその事柄が”社会基準”なのか”その人の基準”なのかを見極めた方がいいなと思うんです

 

8.おわりに

ということで今回は今年を振り返って一人で満足したという内容でした

来年は仕事に関してはこのまま一人を徹底します、孤独が向いてるとはっきり実感した年でした

 

今後も一人でずっとやっていくかどうかはわかりません

40歳か50歳過ぎて人恋しくなるのか、それとも相変わらず一人で楽しんでるのか

楽しんでるなら一人で全然いいんですけどね

 

Xでのコメント返しをコミュニケーションと捉えるかは微妙ですが

コミュニケーションに関しては月に一回あればいいんじゃないかと思ってます

 

なんだか今日の話は愚痴っぽくなってしまったなぁ・・・(反省)

というか今年の振り返りの話なのに気づいたら自分のわがまま具合の話になってた・・

 

 

本日の一曲紹介

No.83

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